あの人にインタビュー


 インタビュー  会報担当 石川 比呂志
   埼玉支部 渡辺会員
 

鯉釣りとの出会い

馴れ初めは、小学校低学年の頃、三本継ぎの手竿を買ってもらい近所の川へ行ったのが始まりで、小鮒やクチボソを釣っていた。 その後、へ鮒のハコ釣り・野ベラ釣りへと手を広げた。 ハコ釣りでは半日で10kg程度釣っていた私でも野釣りでは全く釣れなかった。

中学生頃、友人のリールを使ったブッコミ釣りを見に行った事があり、当りの多さと魚の大きさが気に入り、自分もこの釣りがしたいと思い、道具を揃えた。

は言っても鯉など釣れる訳もなく大型のウグイ・オイカワ・鮒・鯰などを釣っていた。

高校生になると釣りから離れ、バイク・車・スキーなど趣味も変わっていった。

20代後半、同僚から船釣りに誘われ、もともと下地があった為か、釣り魂に火が付いてしまった。     海釣りはチキ時だったので、それ以外は近所でブッコミ釣りを始めた。

この頃なると鯉も釣れるようになり当りを待っている時は、ドラッグを緩めておかないと糸を切られたり竿を持っていかれることがわかり始めた。

淡水研に入会したきっかけ

その後。会社の中で斎木会員・小原会員と知り合い、2人が荒川で鯉釣りをすることを聞き、どんなスタイルでやっているのか見に行った事があった。

程なくして全鯉協の釣り大会に誘われ、初めての水郷(霞ヶ浦)に釣行した。

竿三本は自前でセンサーや玉網は借り物、簡単に釣れるとは思ってなかったので後のことは考えなかった。 意に反し二晩目、車内で寝ているとセンサーが鳴った。

雨の強風の中、竿の所まで行くと向かい風に逆らうように竿が絞られていた。

その時上がったのは70台の鯉だったが、今まで相手にしてきた魚とサイズがあまりにも違ったので感動し  一気に嵌ってしまった。
それから暫くは倶楽部などには属せずフリーでやっていたが、斎木会員から倶楽部に入ろうと思うがどうする?と聞かれ私も乗ることにした。 斎木会員がなぜ淡水研を選んだかは解らなかったが、今なら解るような気がする。
当時の鯉釣りを取り巻く環境は鯉釣り連盟発足23年目で鯉釣り協会とギクシャクしていた。当時会長だった黒川顧問を通し斎木・小原・渡辺三人の同時入会をした。

主に行く釣り場

以前は、水郷ばかりで毎週のように通った時もあったが、鯉ヘルペスやアメリカナマズ問題で釣果がでなくなった為、今では大会の時にしか釣行しなくなった。
現在は、河口湖がメインで荒川・沼川などで猪苗代湖へも釣行したが、まだ80台しか取れていない。
今年は(
2015年)4年ぶりに福井の三方五湖にも釣行した。
仕事が忙しく土曜休みが月に一度くらいしかなかったので、愛好会や秋季大会にも参加できなかった。

釣り方へのこだわり

になく流行りには疎いと思う。
練りダンゴに始まりザリガニ・ペヘレイ・タニシ・ボイリーとこなしてきたが、自分らしく他人に迷惑をかけないがモットー。

これからの鯉釣りは?

10年前と比較すると明らかに鯉釣り人口が減っていると思う。
仕事や家庭、高齢による体力・気力の減少などによりリタイヤした人など考えられるが、その割に新たに始める人が少ない。
淡水研でも会員数、大会参加者の減少など問題は山積していると思う。

自慢のタックル

古い道具をメンテしながら使っている。 道具も大切だが、結果が出せるように心がけている。 今回、この原稿を頼まれたが今秋思うような結果が出ていなかったが締め切り直前、11月最終週にメーターオーバーを
取ることができた
は、淡水研の皆様のお陰だと感謝しております。 ありがとうございました。









                             

                    「念願のメーターオーバー」



                                                戻る