「大鯉倶楽部・奥付の謎」
東北支部・笠岡 庸志  

「大ゴイ倶楽部2006年春号」が発売されて2日目、3日目と立て続けに釣友から同じ質問の電話があった。記事内容についてではない。雑誌の最終ページ、いわゆる「奥付」についてである。各号発刊のたびに、原稿募集や次号発売予定日等が記されていたのに、今回の号ではそれがない。「春の釣果を投稿できないのか」という心配の声であった。記事の載せ忘れ? そんなことあるはずがない。何かの理由があってのことだろう。
大ゴイ倶楽部は、過去にもこれと同じことが2003年秋号にあった。奥付にはぽっかりと白い空白部があり、投稿募集も次号予告も記されていない。もしかして・・・と、ある不安が脳裏を横切った。
そして、翌春、何事もなかったようにいつもの時期に2004年春号は発売された。
しかし、出版社は廣済堂出版からコスミック出版に変わり、雑誌名も「新大ゴイ倶楽部」と「新」が付き。2001年春号から付けられていたvolNOもなくなった。さらに、05’秋号からは誌名から「新」の字が消え、当初の「大ゴイ倶楽部」に戻っている。
これらの変更について雑誌のどこにも説明はなされていない。あえて内輪の事情を外に出す必要はないと言うのが出版側の考えかもしれないが、新号発刊を首を長くして待つ人があり、手に入れて読み楽しむ笑顔があることに思いを致し、なんらかの説明をしてほしいと願うのはわがままだろうか。
今回もこれと同じように出版社が変わるのだろうか。
「大ゴイ倶楽部」第1号は、釣り雑誌の老舗、廣済堂の「フィッシング」の別冊として1995年出版された。別冊なので定期発行ではない。鯉釣り情報に飢えていた鯉釣り師が先を争って買い求めたこともあり、96年、97年は年1回発行、98年から春・秋の2回発行が定着した。当初、「フィッシング」のスタッフが中核になって編集にあたっていたようだが、2000年秋号から主に「AU企画」が編集企画を担当している。
出版社が「廣済堂」から「コスミック」に変わっても「AU企画」が引き続き編集企画をすることで、従来どおりの雑誌形態が保たれている。従って出版社が変わっても雑誌としての存続は可能であろう。
引き受け出版社がない場合は絶版になることも考えられる。
この結論・結果は今夏に出るだろうが、読者は落ち着かない気持ちで、それを待たなければならない。
これとは別に、奥付に次号内容、発売日の予告を載せながら、それが幻となった雑誌があった。2000年に、アポロ出版から出された「鯉釣りネットワーク」である。
 5月号から隔月発行で、7月、9月、11月と順調に発行されたかに見えたが、4冊で終わってしまった。簡易な編綴にすることで価格を抑え、内容もそれなりに整ったものであり、速報による情報の新鮮さが魅力で愛読者から大きく期待されたが、20011月号は予告のみで日の目を見ることはなかった。
 しかし、こうなるであろうことは11月号を読んだ一部の読者の間で話題になっていた。
11月号の編集校正はあまりにも杜撰であった。誤変換が目立つと共に、文章が途中で飛んだり、消えたり、ダブったり。同じ写真が別のところで別説明で使われたりで、言うなれば「欠陥商品」だった。
なぜ、こうなったかは知る由もないが、出版社が釣り分野についての知識・経験が浅く、編集担当やオペレーターも不慣れで、編集企画を担当した「ミングウエイ」との内部意思の疎通を欠いたのかもしれない。
ちなみに、この「ミングウエイ」は2002年春から「鯉釣りマガジン」の編集企画に携わり実績を上げている。
現在、二つの雑誌が春と秋に発行されて、価格が高すぎるとか、マンネリ化してつまらないとか、内容が偏向してい るとか、いろいろ批判されながらも、それなりに鯉釣りファンを楽しませてくれている。
しかし、読者にとって、春と秋ごとに二つの鯉釣り雑誌が競合して発行されるのは、決して歓迎することではない。実現不可能と分かりつつも、二誌が一つになり、月刊または季刊になったら嬉しいことだと思っているのである。
発売部数がどれほどなのか見当もつかないが、へら雑誌に比べてかなり少ないのではなかろうか。仮に純正の鯉キチが各都道府県に平均50名いて、雑誌を購入しても2350部。その半分の人しか買わないと約1200部。出版社にとって、採算的にも決してドル箱雑誌とはならないだろう。価格が高いと言われる所以もここら辺にあるのかもしれない。
雑誌社から与えられるのをただ待つのではなく、読者側からも雑誌の存続・拡大に寄与できる道はあるはずだ。寄稿・投稿等による情報の提供、内容の充実への協力、意見の提出等だ。紙面は決して自慢比べや、ベテランと称される人の独善的理論押し付けの場であってはならない。
鯉釣りファン各層が楽しめる雑誌にするためには、読者の参画意識向上も必要ではなかろうか。

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